鬼滅の刃 京都と鬼の関係 所JAPANで紹介されました Demon Blade Relationship Kyoto and Demon

2020.07.24 (金)

鬼滅の刃 京都と鬼の関係 清水寺 Kyoto and demon Kiyomizudera Temple

京都で鬼との関係でまず思い起こされるのが清水寺です。清水寺の創建に関わった坂上田村麻呂は征夷大将軍として蝦夷征伐に出陣しました。清水寺の境内に佇む石碑「阿弖流為(アテルイ)・母體(モレ)」は、坂上田村麻呂と勇敢に戦い最後に処刑されてしまう蝦夷の首長だったアテルイとモレの慰霊碑です。当時の京都の人にとって蝦夷に住まうのは人ではなく鬼と考えていたようです。坂上田村麻呂はアテルイとモレの嘆願を朝廷に願い出ましたが、最終的にはかなわずアテルイとモレは処刑されてしまいます。

清水寺の起源は千手観音の化身とよばれた修行者・行叡(ぎょうえん)居士と当時興福寺の僧侶であった延鎮上人と言われています。坂上田村麻呂は妻の病気の治癒のために鹿狩りに音羽山に来た時に、延鎮上人から殺生の罪を説かされその教えに感銘を受け自身の邸宅を寄進したとされています。アテルイとモレのことについても清水寺建立のきっかけになったのではないかと思われます。

鬼滅の刃 京都と鬼の関係 北野天満宮 Kyoto and Demon Kitano Tenmangu Shrine

次いで京都で鬼との関係が深いのが北野天満宮です。現在北野天満宮に保管されている名刀「鬼切丸」は名前の通り鬼を切った刀と言われています。刀鍛冶の安綱によって鍛えられた「鬼切丸」は坂上田村麻呂に奉じられ、後に伊勢神宮に奉納されました。ここでも坂上田村麻呂が登場しますが、歴史の数奇さを感じざるを得ません。その後源頼光の手に渡り、源頼光の家臣である渡辺綱に貸し出され、一条戻り橋で鬼を切ったと言い伝えられています。ちなみに渡辺綱は現在の渡辺さんの祖先と言われています。

鬼滅の刃 京都と鬼の関係 晴明神社 Kyoto and Demon Seimei Shrine

一条戻り橋は朝廷の内外の境目に位置しています。朝廷から一歩外に出ると鬼の住まう地域、つまり不衛生な地域と捉える傾向が昔からあったようです。鬼は疫病の源と考えられていて、朝廷にとっては悩みの種でした。一条戻り橋ちかくにある晴明神社のご祭神である安部晴明は鬼を家来として使役させていとという言い伝えもあります。また当時の一条天皇が酒吞童子討伐の命を下した際にも、安部晴明の意見を聞いたそうです。当時の時代背景を考えると非常に興味深いですね。

鬼滅の刃 京都と鬼の関係 首塚大明神 Kyoto and Demon Kubitsuka Daimyojin

「鬼切丸」と切っても切れない関係にあるのが、京都近郊の亀岡市にある首塚大明神です。ここは鬼の中のボス的な存在であった酒吞童子の首塚がある神社です。当時悪行三昧だった酒吞童子を疎ましく思った一条天皇は源頼光に酒吞童子討伐を命じます。この時招集された選りすぐりのメンバーの中には、渡辺綱や鬼退治で有名な金太郎(坂田金時)もいます。坂田金時はこの後に源頼光の家臣になります。日本人にとって鬼の存在は悠久の昔から引き継がれてきたものだと考えると感慨深いものがありますね。

最終的に酒吞童子は源頼光に打ち取られてしまいます。これまでの罪を恥じた酒吞童子は、死後は首から上に病気を持つ人を助けたいと願ったため大明神として祀られたとのことです。それまでは鬼は疫病の源と考えられていました。「春日権現絵巻」には鬼が家屋を覗き込む姿が描写されていて、鬼=疫病という考えが当時から浸透されていたことがわかります。

現在のコロナ禍の状況で「鬼滅の刃」が圧倒的な人気を博しているということは何かの偶然かもしれません。京都を訪れ、鬼との関係の深い場所を訪ねてみれば違う京都を垣間見ることが出来るかもしれません。

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